先週、年度末なので子供の保育園の先生にご挨拶をと思い、のんきにお迎えに行きました。
いつものように教室に向かったら、いつもと違ったエネルギーに満ちていました。何だかおごそかな感じ。
そっと覗いてみると、そこでは、今日が保育園最後のお兄さんお姉さんたちに、下の子たちが歌を歌ってお見送りしているところでした。
数日前にも卒園式のような会で同じ歌を歌っていたのですが、この日は、親に見せるためでも、誉めてもらうためでも、練習の成果を見せるでもない歌です。今まで遊んでくれたお兄ちゃんたちへのプレゼントのためだけの歌でした。
最後にひとりひとり並んで、全員と握手をしている子供たち。中には号泣している子もいれば、たんたんとしている子もいれば、きょとんとしている子も。
でも、握手する小さい手は、みんな力強い ぎゅっ でした。
なんかね。もう、その光景が何の心の準備もないまま、ふっと入ってきたからか、美しすぎて、なんだか感動して、涙があふれてきました。
で、涙こらえていたら、毛穴やら、鼻の穴やら、ワキの下やら、オケツの穴やら、もう穴という穴から涙が吹き出しそうな、もう美しんだか、汚いんだか、ようわからん!という感覚。でした。
ちなみに、その歌が『カメの遠足』という歌で、歌詞がさ、
『

カメの遠足は 三日前からリュックサックにおかしをつめる
カメの大好きな チョコレートは ベタベタとけてもう食べられない
*のんびりゆこう のんびりゆこう
いそいでゆくと すぐおわるだろう
のんびりゆこう のんびりゆこう
ゆっくりゆけば まだまだつづく
カメの遠足は夜明け前からみんな集まるバス停にむかう
お昼になって やっと着いたらみんなとバスはもういなかった
*のんびりゆこう のんびりゆこう
いそいでゆくと すぐおわるだろう
のんびりゆこう のんびりゆこう
ゆっくりゆけば まだまだつづく
お昼ごはんをバス停で食べて そろそろ山へ向かいましょうか
足どりかるく口笛もでる山に着いたら何をしようか
*繰り返し。
カメの遠足は夜になっても山にはとてもとどかなかった
明日があるさ星がきれいだカメはねむる山を夢見て
*繰り返し。』
こんな歌を、数十人のこどもたちに歌われた日にゃあ、ロハスだの、スローだの言ってる世間の大人たちの黒い企みも吹っ飛ぶってもんですぜ。
それにしても、こんな幸せな世界から、次の週には小学校で、急に整列させられ、静かにさせられ、イスに座らされ、身体が不自由な世界に入る訳で。
僕の妻が「本当は子供の頃の方が不自由で、精神的にも大変なんだよね。本当は大人の方が楽。」と言うのですが、いつもこの『意外な』コトバがひっかかってました。
「自由とは自分と一致していること」というコトバがあります。
僕にとって、このコトバほど『自由』を的確に説明してくれたコトバはないのですが、僕たちのやっている自然療法の教育活動は、まさに、「自分が一致すること」を目指しているのだなと思っています。
マタニティタッチクラスの授業の中でもお話しましたけど、子供の頃は身体にうまく入れない。身体と自分が一致しない感覚って、確かにあるかもしれない。自分と大人の価値観とか。自分と世界、つまり自分が一致しないという感覚。しかも子供の頃はそれが漠然としていて意識化できないから、余計、不安定になるのかもしれない。特に10代過ぎると。
そしてそれは、大人になって、はじめて自由に自分をコントロールできて、一致させるためのプロセスをふむことができる気がします。
いけだ笑み先生の占星学の講議や、今日の中安先生のリフレクソロジーの説明会でも感じたのですが、当校で自然療法の価値観を学んで何か開放されていく感覚は、自分と一致する感覚なのではないかと思うのです。
そんなこんなで、なんだか長くなってきたので、このへんで。
この話し続きます(たぶん)。
来週から西洋占星学ベーシッククラス始まります。
ホロスコープと自分を照らすと、自分が一致する瞬間がきっとあると思います。ぜひ。
http://www.aroma.gr.jp/astrology/