『世に現われたものの中で、最悪と私が思っている』ことばが、『KYがそれです。』
『この国の歴史の中で、何を残し、何を捨てても良いから、これだけはあなたたちが引き継いで欲しくはないと私が思い続けて来たもの、それが「KY」』
筑紫哲也さんの本を読んでるんですが、亡くなって1年たつんですね〜。
乱暴を承知でいうと、思考を停止するな、ということだと思います。
「自分で考える=自分で感じることをやめて空気にあわせる」
これが本当に、あぶないと。
これね、サラリーマンにとってはとっても大事ね。
会社って、会社=自分、もしくは、会社>自分になってきがちです。
というかしないと組織で生き抜けない。
で、アロマテラピーって、その、自分で感じる力を取り戻すトレーニングになると思うのです。
どうも嘘くさい。
なんか鼻につくなあ。
うさん臭い。
鼻が利く奴だ。
こういった表現があるように、嗅覚は、ものごとの善悪や真偽、そして、今自分に何が必要かを受容する器官でもあります。
嗅覚は知っています。
昔、こういうコトバで表現した日本人は、きっと嗅覚の力に気づいていたのでしょうね。
問題は、鼻が利かないこと。
直感が働かないという意味ね。
自分にとってふさわしいものが何か、直感が働かないのが、一番あぶないね。
疲れてるのに休めないとか
本当は必要ないのに、つい食べちゃうとか
同じ香りを嗅いでいても、自分は共感を抱き、隣の人は反感を抱くということもあります。
だからこそ、嗅覚はとても個人的な体験なのです。
嗅覚は知っています。
今日好きな香りが、次の日はあまりピンと来ない、ということもあります。
それは、今のコンディションがその香りを望んでいるか、いないかを嗅覚は知っているから。
今、ユーカリが好き。もしかしたら風邪の兆候?
今、ゼラニウムが好き。もしかしたらバランスが崩れてる?
今、ベルガモットが好き。もしかしたらウツっぽい?
そんな香り占いのようなことでも、今の体調を嗅覚が教えてくれたりします。
当校の実践!アロマテラピークラスや、インストラクタークラスでは、毎回必ず香りのアクティブイマジネーションというワークを行ないます。
これは、自分の感覚を取り戻す、トレーニングだと思っているのです。
他の誰でもない、自分のね。
http://www.aroma.gr.jp/aroma/aromatherapy.html
嗅覚は知っています。